小倉北区 武蔵の碑

その489


旅行中などによく知らない人と会話をしますが、北九州市出身と言えば、宮本武蔵の碑や巌流島のことを

尋ねられることがあります。いずれも剣豪小説や宮本武蔵が好きな人ばかりでした。

思い出すのは、マドリッドドンキホーテの像の前で、関西弁の女性から聞かれたときです。

20年近く前で、当時、私はいずれにも行ったことがなく、がっかりさせてしまった記憶があります。

巌流島は下関で、小倉北区の手向山にある武蔵顕彰碑には大半の市民は行ったこともないでしょう。


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公園の入口にある看板。手向山は標高76メートルなので、歩いて登ればいい運動です。

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武蔵の碑のすぐ下まで車で行かれます。今回はそこから歩いて降りて写真を撮りました。

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バスなどで来た人はここから登りますが、途中、砲台や灯台跡なども見ながらの散策です。

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小笠原藩家老になった伊織が武蔵の甥というのは通説かな?と思います。


手向山公園の山頂に建つ 武蔵顕彰碑は1654年に武蔵の養子の伊織(小倉藩の家老)が、武蔵が

熊本で死んで9年後に建てたもので、歴史的な価値が高く、宮本武蔵に関する小説、映画、漫画の基に

なっています。大筋は事実に基づく内容でしょうが、そこは身内なので、結婚式のスピーチや葬式の

弔辞のように、やや賞賛する内容になっていることは仕方ないでしょう。

ネットでも、碑の全文や読み下し文を見る事ができますが、関ヶ原大坂の陣で功を立てたなどは

誉め過ぎでしょう。 また伊織も養父の不名誉なことは記述させなかったことは当然でしょう。


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      兵法天下無双 から始まります。 まさに顕彰碑です。


小高い丘なので、関門海峡や巌流島を見ることも出来ます。車で来ない人はタクシー、バス利用でしょうが、

JR小倉駅門司駅の中間(門司駅のほうが少し近い)で、約4キロなので歩けば1時間もかかりません。

ここと下関の巌流島を見学して、宮本武蔵への思いをめぐらせることも楽しいでしょう。