その278
3年前に長崎の軍艦島に行って、かつて賑わった廃墟を訪れて、往時のことに思いを巡らせました。
インターネットを見れば、廃墟マニアのような人もいますが、旅行としては面白そうです。
5月末に訪れました。 「マイントピア別子 東平(とうなる)ゾーン」 という場所です。
途中、道の駅を兼ねた マイントピア別子端出場ゾーンに寄りましたが、温泉もあり、食事、買い物も楽しめ、
また観光用の坑道を見学できるようになっています。完全に観光客用に造られていますが、別子銅山の
資料などはあまりありません。 いよかんソフトクリームだけを食べて、東平へ向かいました。
細い道を進み20分くらいでしょうか、マピュピチュの到着しました。 山の中という感じです。
訪れて勘違いに気がつきました。自分の頭に残っていた写真は、当時の写真だったのです。
現在、ほとんどの建物はありません。 無料の資料館に当時の写真やパネルがありましたが、
ペルーの大使が訪れた写真もありました。 公認というわけですか?
大正時代、ここは人口3600人で、昭和2年には小学生が695人とパネルに書いていました。
マチュピチュには行ったことはありませんが、写真を見る限りケタ違いの規模の差でしょう。
関西弁の少し下品な男女二人連れが、がっかりだとか、文句を言っていました。
規模が100分の1以下とのことですが、東洋の○○ などは大体そうでしょう。
東平ゾーンにある資料館。パネルなどもあり無料です。下の写真はその2階。
一番規模の大きい遺跡? 索道停車場跡を上から見下ろします
220段の階段を降りて見上げます。貯蔵庫跡とのこと。
資料館の先には変電所跡があり、ここに数台の車がありました。
登山道になっていて、平日でこの台数ですから、土日は結構多くの人が登山を楽しむのでしょう。
駐車場に戻るとバスが団体をおろしていました。
帰りに先ほどの道の駅で、お昼をと考えていましたが、気が乗らずにそのまま通り過ぎました。
国道11号線に向かう途中、別子銅山記念館があり寄ってみました。 ここはよくできた資料館でした。
別子銅山だけでなく、住友の歴史がよく分かる多くの貴重な展示品がありました。