松山で坂の上の雲の世界に浸る

その279
 
 
名作ぞろいの司馬遼太郎の小説の中でも、坂の上の雲は、特に経営者に人気があるようです。
 
私は、大学生のときに初めて読んで以来、5回は読み返しています。年を取るごとに面白さを感じます。
 
中国に住む友人に頼んで、旅順や大連を案内してもらったときも、また感慨深いものでした。
 
この小説は、愛媛県松山市の秋山兄弟と正岡子規を中心に始まります。
 
松山市内には、この坂の上の雲の世界に浸れる場所がいくつかありますが、今回は、道後温泉近くの
 
子規記念博物館と、松山城の東側にある 坂の上の雲ミュージアムと秋山兄弟生誕地跡 を訪ねました。
 
 
 
子規記念博物館は、展示品が素晴らしく大満足でしたが、ここは坂の上の雲とは関係はありません。
 
正岡子規の生涯、その業績、交友関係などは小学生や大人でも十分に満足できるような内容でしょう。 
 
10分くらいのビデオを何本もみることができますが、それだけで一時間以上見ても、全く時間が惜しく
 
ありません。 親交があった 夏目漱石の 坊ちゃん に関する資料もありました。
 
子規も病気で苦しかったことは当然でしょうが、生活費の多くを子規の贅沢な食費に裂き、母と妹は粗食で
 
過すビデオには涙が出ました。家族、友人、知人の支えなくして子規の業績は不可能だったのでしょう。
 
ドラマ化された坂の上の雲の子規を演じた香川照之は子規に似ているな、すごい役者だとふと思いました。
 
 
さて、坂の上の雲ミュージアムは、残念ながら子規記念博物館の感動にはまったく及びませんでした。
 
展示品に目玉がなく、小説の感動を呼び起こすような内容ではないのです。建物は立派で係りの女性たちの
 
対応には不満はありませんが、この程度でいいのか・・という強い思いは今でも残っています。
 
その反対に、秋山兄弟の生誕地跡は、強くお勧めいたします。
 
 
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     馬上の人物は兄の好古でその視線の先に弟の真之の胸像があります
 
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      晩年は地元の中学高の校長になりましたが、従二位という位がその功績を証明しています
 
 
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      アメリカとの戦争は絶対に避けるべきとの主張なども胸像下の説明文に書かれています
 
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      この建物は、遺族などの証言をもとに再建されたとのこと。六畳二間。八畳二間です。
 
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     右の写真は私も始めて見ました。大正4年に久松公を中心に秋山兄弟が写っています。
 
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      建物内の書なども、見ごたえがありました。
 
 
10人くらいの団体がいなくなった後、説明の女性と30分くらい話をしましたが、秋山兄弟に強い誇りを
 
持っていることに好感をいだきました。 児玉源太郎秋山真之が長命であったら、日本の歴史も変わった
 
かも知れないという点で一致しました。 ここは5時までで、坂の上の雲ミュージアムは6時半までなので、
 
時間のない人は、ここを先に見たほうが良いでしょう。  この日は、大変に満足のいく一日でした。