新居浜市 広瀬歴史記念館

その280
 
 
車で旅行に行く場合、最優先は目的地ですが、次に旅行ガイドやインターネットで周辺などの興味深い観光地、
 
博物館、散策コースなどを探します。 そして地元の人や旅行者にお勧めの場所を聞くことにしています。
 
欲張りですから結構、寄り道をして、当初の予定が変わることもありますが、これが楽しいのです。
 
一般道を運転していて、観光地への案内看板で行くことも度々です。 今回の広瀬歴史記念館がそうです。
 
 
 
ところで、別子銅山のある新居浜市は、「住友の街」 という感じです。
 
同日に3人の地元の人(道の駅でご年配の男性、東平で中年の男性、広瀬歴史記念館の係りの女性)と、
 
延べにすると一時間くらい、別子銅山や住友のことなどを質問したりしましたが、私が、「新居浜市で住友で
 
働くことは高い信用があったのですね」 と言うと、驚くことに、「住友の社章をつけていると飲み代はつけで
 
良かった」、「社名入りのジャンバーを着ているとサービスが違った」 と3人とも決まり文句のように言うのです。
 
 
 
その広瀬歴史記念館の広瀬宰平は、住友グループ発展の基礎となった別子銅山の支配人を経て、初代
 
住友総理人になって、住友のみならず日本の発展に貢献した人物です。
 
広瀬歴史記念館で様々な展示品、資料を見た後に、隣接の旧広瀬邸を見学しました。
 
いくつもの重要文化財になっている明治時代の屋敷ですが、ほぼ当時のまま残っています。
 
成金趣味のような下品さがまったくなく、何となく建てた人の人柄を表しているように思えました。
 
 
イメージ 1
      旧広瀬邸の玄関ですが、記念館を先に見学した場合、裏の道経由で庭を通って来ます
 
イメージ 2
      座敷の続き間
 
イメージ 3
      二階の洋式トイレは1897年と書いてあったように記憶しています
 
イメージ 4
台所の様子。広い土間では大勢の人たちが来客に対応していたのでしょう
 
イメージ 5
すっきりした床の間。使っている部材は高価なものでしょうが、いやらしさがありません。
 
イメージ 6
母屋です。先は玄関、後ろは台所だった思います。明かり取りと畳の大名敷きが目につきます。