長崎市永井隆記念館

その689

永井隆という名前を聞いてわかる方は少ないかも知れません。 藤山一郎が歌う名曲 長崎の鐘(1949年)、

翌年の同名の映画は、この永井隆の著書 長崎の鐘 が元になっています。

医学博士であり、長崎の原爆で、妻を亡くし、自身も被災して6年後に43歳で死亡するまで、キリスト教徒として

平和を祈るいくつかの著書を出して、病床で天皇陛下、ヘレンケラーなどとの写真も残っています。

7月10日に長崎市永井隆記念館を訪れました。


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      入館100円。二階は図書館になっています。

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      玄関。 如己愛人(にょこあいじん)は、如己堂の命名の元になっているようです。

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      永井博士の遺品や資料が展示されていました。

5分の映像を2本で、永井博士の生い立ちから亡くなるまでが、大変にわかりやすいのです。

如己愛人という言葉は、新約聖書 マルコによる福音書12章31節から と書いてありましたが、

帰宅して聖書を開くと、隣人愛を説いた 「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」 でした。

敷地内に建つ 如己堂は、2畳一間でここで二人の子どもと病床の博士が暮らした とのことです。

頂いたリーフレットもよくまとまっていて、それを見れば、博士が少年時代を過ごした島根県雲南市にも

永井隆記念館があり、如己堂の複製もあると書いてあります。


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      如己堂全景。 千利休考案の茶室、お地蔵さんなどを安置するお堂を連想した狭さでした。


原爆資料館永井隆記念館などを訪れて考えることが多々ありますが、帰宅して、名曲 長崎の鐘 を

すぐに聞きました。 藤山一郎の声が一層、美しく、悲しく感じました。