しいだ梅祭と天満宮の話

その351 

梅の花と言えば、どこでも天満宮が名所になっていると思われます。

大宰府天満宮には6000本もの梅の木があるそうですが、築上町の綱敷天満宮にも1000本あるとのこと。

綱敷の名前の由来は、大宰府に流された菅原道真公をここの浜で、漁師のとも綱を敷いて休ませた・・と、

ここの神社の説明の看板にかかれています。 これは不思議な話なのです。


実は福岡市や神戸他何箇所か綱敷天満宮はあるようですが、いずれも、「菅公がこの浜に着いた際、漁師が

とも綱を敷いて・・・」 という由来です。同じ名前の寺社は珍しくありませんが、大元やその分霊や系列などは、

明確です。 綱敷天満宮は、本家、本元争いはないのかな・・と不謹慎な想像もしてしまいました。

天満宮と梅は、菅公の飛梅伝説、その和歌に因んでいることは当然ですが、神様になった経緯も周知です。


政権を独占したい藤原氏から冤罪をかけられて、大宰府に流されて、不遇のままその地で亡くなったことは

史実でしょう。 自分の不幸を嘆く和歌や漢詩があることも知られていますが、天皇藤原氏を呪うような

ものは聞きません。 しかし903年に亡くなった後、6年後に政敵の藤原時平の死亡、また930年の清涼殿の

落雷などが、管公の悪霊などとされて、最後には正一位太政大臣を贈られて、天神様とされる始末です。

想像するに、お調子者の陰陽師が言い立てたのでしょうが、不敬ながらこのように神様は創造されるのです。


それはともかく、3月8日まで、しいだ梅祭 とのことで、福岡県築上町の綱敷天満宮には露天の店も並び、

賑々しく、梅の花を楽しみ、天神様に学問や習い事の成就をお祈りすれば結構でしょう。

訪れた日は、平日の夕方で、露天もしまいかけていましたが、参詣の人は少なくありませんでした。

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      白い玉に見えるのは結びつけたおみくじ。

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      天満宮の向かいは海です。ここは潮干狩りの時期には大勢の人が訪れます。