しいだ梅祭と天満宮の話
その351
ここの神社の説明の看板にかかれています。 これは不思議な話なのです。
実は福岡市や神戸他何箇所か綱敷天満宮はあるようですが、いずれも、「菅公がこの浜に着いた際、漁師が
とも綱を敷いて・・・」 という由来です。同じ名前の寺社は珍しくありませんが、大元やその分霊や系列などは、
明確です。 綱敷天満宮は、本家、本元争いはないのかな・・と不謹慎な想像もしてしまいました。
ものは聞きません。 しかし903年に亡くなった後、6年後に政敵の藤原時平の死亡、また930年の清涼殿の
想像するに、お調子者の陰陽師が言い立てたのでしょうが、不敬ながらこのように神様は創造されるのです。
賑々しく、梅の花を楽しみ、天神様に学問や習い事の成就をお祈りすれば結構でしょう。
訪れた日は、平日の夕方で、露天もしまいかけていましたが、参詣の人は少なくありませんでした。
白い玉に見えるのは結びつけたおみくじ。
天満宮の向かいは海です。ここは潮干狩りの時期には大勢の人が訪れます。