その568
旅行をしていると予定外の見学先などで、思いがけず来て良かったと大満足することがあります。
流行の言葉で言うと、 僥倖(ぎょうこう) です。 山口市の鋳銭司郷土館もそうでした。
目的の大村益次郎の展示品に満足して、第二展示室に入ると、ここは鋳銭司の名前の由来、
12種の銅銭だったので、皇朝十二銭と言われ、ここではその8種類を作っていたと書いています。
入口にまずこの説明が書いてありました。
当時の作業の想像?人形を中心に展示室の周辺に様々な日本の貨幣が説明されています。
上の人物がこのような型に胴を流し込んで銭を作っていたようです。
出来上がった胴銭を切り取り、無駄な部分をヤスリのようなもので磨いて納品?したのでしょう。
日本の貨幣の歴史が古代以前から現在までの展示品と説明のパネルが並んでいます。
このような博物館、資料館で勉強になるのは、レプリカも交えているとはいえ、現物の大きさで比較、
確認でいる点です。 これは本やネットなどで、文を読んだり、写真、絵を見ても実感できません。
江戸時代の小判も大きさが段々小さくなっていったようで、重さも金の割合も変化したのでしょう。
小判と比較すると小さく、二分金2枚、もしくは一分金4枚で一両です。日常はこれで十分でしょう。
小判よりも何倍も大きな大判。主に贈答用でしょうか?
重さと金の分量がわかりやすい。白米の価格も比較できて面白い。
一分銀や一朱銀は時代劇でも見慣れていないので新鮮な印象がします。
この資料も分かりやすい。