その504
中でも私は筆頭だと思います。 偶然にも1838年生まれ、1922年死去は、山県有朋と同じで長命です。
人気のあった大隈の葬儀には30万人もの人が集まり、一ヶ月後の山県の葬儀は閑散としていたことは、
雑学の本などにも書かれています。 爆弾で右足を失い、その暴漢を批判しなかった点も美談とされています。
2月末に佐賀市にある大隈記念館に行きました。
ここは一年くらいの改修工事が完了した生家の内部も見学できます。
記念館ではめずらしい肉声の演説が流れていました。模型は生家の敷地や建物。
一階は主に大隈家のことや政治家としての業績が紹介されて、二階は早稲田大学に関する業績などが
展示されていました。孫文との関係や中国からの多くの留学生を受け入れていた資料などは、私は
不勉強で知りませんでした。 めずらしい本人の直筆や、義足なども展示されていました。
生家は内部を係りの人が説明してくれましたが、なかなか感じのよい、よく勉強しているご婦人でした。
これまで数え切れないくらい博物館、資料館などを見学しましたが、感心するくらいの対応でした。
再建ではなく、ほぼ当時のまま(屋根や雨樋は別でしょうが)で、重要文化財の立て札が。
大隈が気に入っていた赤いマントと帽子は着用できるようでした。
天井は低く、毎月5のつく日のみ、大隈の勉強部屋であった2階も見学できるとのこと。
大隈家300石と言えば上級の武家ですが、敷地314坪、建坪55坪は狭いと感じました。
駐車場も広く無料、入場料300円(JAF割で200円)です。
資料の数々もよく、大隈の肉声も聞かれて、生家も見学できて、本当に来て良かったと思いました。
帰宅後、あらためて大隈の業績などを調べて大隈の偉大さを認識して、さらに好きになりました。