名護屋城跡地を散策する

その376


見学したい城といえば、姫路城、熊本城、あるいは大阪城などでしょう。

そして建物などがない城跡ならば、佐賀県唐津名護屋城跡です。

大陸侵略という秀吉の野望をかなえるために5ヶ月で造られた巨城で、当時、大坂城に次ぐ規模とのこと。

最近の研究、発掘によって多くの大名屋敷跡などがわかっています。


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      協力金100円払ってすぐ左にあったパネルに当時の復元想像図が。

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      当時、渡海したり布陣していた大名の人員。右には大名屋敷の跡地図

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      入口からすぐ左手に大きな池があり、庭園のような光景が広がります。


この日は3月27日で、この桜の名所はまだ三分咲きでしたが、すでに花見のグループも。

なだらかな坂を左に曲がると、本丸や天守閣のあった広大な場所に出ます。

私が小学校の頃、この近くの親戚の家で夏休みを過ごし、ここで近所の子供たちと野球をしましたが、

当時、武士の格好をしたガイドさん(今思えば、木下藤吉郎か?)に怒られた思い出の場所なのです。



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    中央の名護屋城跡の碑は、東郷平八郎書。 奥の丸い碑は、太閤が 睨みし 海の霞かな 月斗

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     天守閣があった場所


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      隣接の博物館の模型。 広大な平地にこのような天守閣と本丸御殿があったのです。


天守閣跡地からは玄海灘が遠望できますが、呼子大橋も見えます。

先に県立名護屋城跡博物館によって、歩きながらCGによるバーチャル体験のできる器具を借りても

面白いでしょう。 想像するほうが楽しいかも知れませんが、人それぞれでしょう。

ところで、城を出て、道の駅の交差点を左に曲がり、少し歩くと、山里口に出ます。

この先の広沢寺一帯に秀吉が、大坂城に築いたような山里曲輪があって、ここで茶会が行われていた

ようです。 その広沢寺は、清正が朝鮮から持ち帰ったという樹齢400年以上もの大蘇鉄が見ものです。


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      呼子大橋

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      山里口。隣接の広沢寺あたりに茶室や能舞台があったそうです。行ってみましょう。